サンフランシスコ便り 2005
第11章 バイリンガル教育、あるいは…
アメリカで生まれたまどかは、自動的にアメリカ国籍を得たことになる。一方、彼女の両親である私たち夫婦が二人とも日本人なので、彼女は同時に日本国籍も持っている。日本の法律によると、二重国籍は認められていないので、この二つの国籍を持つ状態が許されるのは、彼女が21歳になるまでだ。すなわち、まどかも21歳になるまでにどちらの国籍をとるか、選ばなくてはならない。もしまどかがアメリカの国籍を選んだなら、それは彼女が日本の国籍を失うことを意味する。また、彼女が日本の国籍を選ぶなら、日本の法律に従うと、彼女はアメリカの国籍を放棄しなければならない。
彼女がどちらを選ぶのか、まだ私たちには解らない。けれど、少なくとも私たちが持つ日本の文化を彼女と共有したいというのは切なる願いだ。そのためにも、彼女には日本語を教えてやりたいと思う。もし、彼女が日本で生活することを選んだとしても、不自由することのない十分な日本語を使えるようにしてやりたいとも思う。
バイリンガル教育は、想像するほど簡単なことではない。アメリカという英語圏に住んでいて日本人の親を持つからといって、ほっておいたらバイリンガルに育つと言うものではない。ただ親が日本語を使うというだけでは、英語圏で生活する子供はすぐに英語のみを使おうとする。親が、日本語以外では絶対に受け答えしないなどの特別な教育を施さない限り、完全なバイリンガルに育てることはできないと言われる。そういった教育なしでは、日本語で話されている内容のなんとなく意味が解っても、自分では日本語を話したり、読み書きすることはできないというのである。
ずっとアメリカに住みつづけるのであれば、それでもいいのかもしれない。しかし、自分の娘が自分の母国である日本の文化を何も知らないまま、完全にアメリカ人になってしまうのかと考えると、それも寂しい気がする。反面、家族皆でずっとアメリカに住み続けるならば、私自身、もっと英語力を身につけなければいけない。夫はもっと若いときにアメリカに来ているので、私よりよほどしっかりとした英語のやりとりができるが、私の今の英語力のままでは、仕事や付き合いが可也限定されてしまうのは目に見えている。
先日、バカビルに住むある日本人夫婦の家庭に感謝祭の晩餐に招かれた。彼らには大学生の娘と高校生の息子とがいる。我々が招かれたときには、娘は大学でミシガンにいると言うことで不在だったが、息子は私たちと同席した。彼は、ある程度の日本語は理解するが、日本語を話すことはできなかった。
その日本人夫婦は、実にアメリカの生活に溶け込んでおり、二人の手作りの感謝祭の食事もオーソドックスな昔ながらのアメリカンスタイルで、旦那さんはアメリカの市民権をとったのか、名前もアメリカ風にスティーブンといった。スティーブンは脳内科医で、仕事でも家でもほとんど英語を使っているのだろうか、私たちと日本語で話していても、時々英語なまりが入る。奥さんは日本語補習校で国語を教えているだけあって、日本語が英語まじりになることはなかったが、日本語のなまりが入りながらも流暢な英語を話した。
日本語環境で育てた上の娘は、両親がアメリカ人の子供たちより、英語の語彙が少なく、文学などの読解能力は少し劣り、いろんな意味で苦労したようだ。そのせいもあったからか、下の息子は英語環境で育てようとしたのかもしれない。また、奥さんも、週に一回の日本語環境での仕事をしているだけでは、きっとそんなに英語は上達しなかっただろう。スティーブンは、彼女のことも考えて、家庭でも、同じ日本人同士の夫婦であっても英語を使おうと決めたのではないだろうかと想像する。
簡単に、バイリンガル教育と考えるけれど、まずは、まどかの将来、または自分たちの将来を真剣に考えなくてはいけない時が来ているのかもしれない。永遠にアメリカに住み続けるのか、それともいつかは日本に帰るつもりなのか、心積もりはっきりさせないと教育方針も定まらない。その上で、家族全体にとって最善の方法を考えなくてはならない。そして、生活そのものをも教育の場としていくことが理想的な教育となるのだろう。