サンフランシスコ便り 2005

第12章 アメリカに生きる意味

子供の頃、浄土寺の祖父を訪れたとき、近くの公園で遊んでいると、青い目をした金髪の少年に出会った。初めてであった白人の子供に驚きと憧れのようなものを感じた。アメリカ人だと思った。話しかけてみたかったが、一言も言葉を発することはできなかった。

白人を見るとすぐにアメリカ人だと思い込むのは、私たちの世代の人間には共通の反応かもしれない。戦後、アメリカとの密接な繋がりとともに復興を成し遂げつつあった日本に育った私たちの世代、その子供時代には、アメリカの映画、アメリカのテレビ番組、アメリカの音楽、アメリカの食品、アメリカの電気製品、アメリカのテクノロジー、私たちの身の回りにある近代化されたものはすべてアメリカからもたらされたものだった。アメリカの生活は富に溢れ、アメリカのものは最新の技術によって作られている素晴らしいものだ、それに比べて日本のものはなんと古臭くみすぼらしいのだろうと、子供の頃信じていた。アメリカ人に生まれたかったと本気で思っていた。

成長するにつれ、歴史を学び、日本の文化、また東洋の文化、さらには世界中のさまざまな文化や価値観について学ぶうちに、アメリカ最上主義的価値観が誤りであったと気づいた。旅をするなら、アメリカよりも、もっと違うところに行ってみたかった。アメリカ映画よりもヨーロッパ映画、さもなくば、日本映画、またはアジア映画の方がより面白いと思った。こういったアメリカを故意に避けた嗜好も、今から考えると、アメリカ文化にあまりにもどっぷりつかりすぎたことによる反動だったかもしれないとも思う。それほどに、アメリカに強く影響されて育ってきてしまったのだ。

今、ひょんなことからそのアメリカに住んでいる。アメリカなど住みたくはなかったと嘯いてみても、今私はここにいることを選んでいる。日本を離れて、私はこの地に住むことを自らの意思で選んだ。ことのきっかけは、半ば偶然だったかもしれないが、偶然他のところに住むことだってできたはずなのに、どこか他の地に定住することはなく、ここアメリカに住み着いてしまったのは、ただの偶然のなせる業ではないのだろう。私は、アメリカに住んでみたかったのだ。子供のときに憧れたアメリカに一度は暮らしてみたかったのだ。

暮らしてみて、いろんなことがすべて煩雑としていて、日本のようにスムーズに物事が進まないのにいらいらすることもある。日本人がアメリカ文化理解しているほどには、アメリカ人は日本の文化を理解していないのに腹立つこともある。それでも、日本にいたときの息の詰まるような思いがないのは、ここアメリカが個人主義の国だからだろう。個人主義の国なだけに、個人は全て自己責任において行動しなくてはならない。甘えは許されない厳しい世界でもある。それでも人々は、自由と成功のチャンスを夢見て、この国に集まる。そして私も、新しい生活を始める土地として、ここアメリカを選んだ。

世界中旅をして、いろんな土地の人々と知り合ったけれど、外国人がその土地に入り込むことは何所もとても難しい。ここアメリカは、そういったしがらみから解放されて、誰もが新しくやってくることができる土地だ。もちろんアメリカにも白豪主義、人種差別など、表立っては許されないが、実際には根深く残っている。それでもやはり他の国に比べると、他の地からやってきた人間を受け入れる基本的体制があることは事実である。

アメリカは、誰でもなんでも、思い立ったときに自由に始めることができる国だ。老人になってからでも、新しい勉強を始めて職業や生き方を急転換する人は山といる。私は、そういった新しい可能性を追求できるこの土地を選んだのだ。ひとりで生きていくよりも家族とともに生きることを選んだのと同じように、この土地で新しい生活をすることを選んだのだ。これからこの土地で、自分に何ができるのか未だ解らない。これから私の生きる方向を探して行こうと思う。この土地では、遅過ぎるということは何もないのだから。


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