サンフランシスコ便り 2005


第6章 アメリカでの出産

4月9日土曜日、夫と二人で居間にいた。二人でゆっくり映画を見るのも、もう暫くできないだろうと、ビデオを見ようということになった。ウッディアレンの「インテリア」だった。それを見終わるか見終わらないかの時、激しい痛みとともに何か生暖かいものが体の中から流れ出してくるのを感じた。トイレに行って見てみるとすえたような臭いのする無色の液体が下着をぬらしていた。時計を見ると、午後11時をさしていた。  
  
お産の少し前、「おしるし」といって羊水の一部が出てくることがる。そのことは、なにかの本で読んで知っていたものの、実際どんなものなのか確かなことはわからなかった。予定日の4月7日になってもまだそのおしるしが来ないので、少しやきもきしていたところだった。

そのため、その夜のその水は、おしるしなのか、それとも破水なのか見当がつかず、とりあえず病院に連絡してみた。陣痛と言えるものはその水と同時にあった激しい痛みだけだった。とりあえず、陣痛の感覚が5分おきになったらもう一度連絡するようにと言われた。

これはいよいよお産の始まりのようだとわかったが、お産は長丁場だから初期には慌てずリラックスして過ごすのが良いというのを聞いたことがあったので、ビデオをもう一本見ることにした。あまり深刻なものを見る気にもなれなかったので同じくウッディアレンの今度は「スイーパーズ」を見ることにした。

翌10日、午前1時、その映画の半ばまでみたころ、再び激痛とともにまた生暖かい物が降りてくるのを感じた。これは間違いなく破水であると確信した。病院に電話すると今すぐ来るようにといわれた。今度は一人で立ち上がれないほどの痛みだ。夫に手伝ってもらいながら用意してあった荷物とともになんとか車に乗り込んだ。

午前、1時20分ころ病院へ到着。救急窓口の受付で夫が手続きをしている間に私は車椅子に乗せられ3階の出産準備室に運ばれた。血圧を測ったり尿を採ったりの簡単な検査の後、すぐに隣の出産室に行くように指示された。痛さのあまり背中を丸め込むように夫に寄りかかって移動していた私に、手馴れた感じの黒人の看護婦が、しゃんと背筋を伸ばして、ゆっくりと呼吸するようにとたしなめた。

出産前、ラマーズ法の講習を受けたりして、呼吸法などについての知識はあったが、実際そのときが来て見ると、そんなに落着いてゆったりしていることなどできなかった。激しい吐き気と、拳骨でお腹を殴られるような痛みに耐えかねて、何度も絶叫した。一度呼吸が乱れると、なかなか立て直すことができず、パニックに陥りそうだった。

看護婦と助産婦が英語で何か言っているが、何も聞こえない。いつもの検診で見てもらう助産婦や看護婦は今日は非番らしく誰も知る人がいない中、枕元に立つ夫だけが頼りの綱だった。ずっと手を握りながら、夫はゆっくり呼吸をするようにと繰り返した。叫び声を上げると、子供を押し出すための力が逃げるとかで、避けたほうがよいというのだが、痛さのあまりそんなことまでかまっていられない。

この期におよぶまでは、自然分娩が良いとは思っていたが、あまりの苦しさに麻酔が欲しいとリクエストしていた。しかしながら、もうすぐ生まれるから頑張りなさいと却下されてしまった。とにかく早くこの苦しみから解放されるために産んでしまうしかない。力いっぱいいきんだ。

今がシャッターチャンスだと助産婦が夫に向かって言った。産道が開いて頭の先が少し出てきているのだ。夫はカメラを片手に私の足元へ移動した。どうなっているのか気になっていた私に看護婦が鏡をかざして、その部分が私にも見えるようにしてくれた。ドキュメントの映像などでは見たことはあったが、今まさに自分自身がひとつの生命体を産み落とそうとしている。なんとも不思議な思いに駆られた。

頭の先が見えてからがまた長かった。いつになったら終わるのか、生も根も尽きかけた頃、するりと何かが移動するのを感じたと思ったら痛みがすっと治まった。生まれたのだ。病院に着いてから3時間たらず、午前4時16分だった。

生まれるとすぐに「おぎゃー」とか言って声をあげ、産湯にでも清められてから、「元気な女の子ですよ」とか何とか言ってお包みを着せられた赤ん坊が運ばれてくると言った想像と全く実際は違っていた。産声よりも何よりも先に、生まれたばかりの小さな生き物は、私の仰向けになった胸の辺りにいきなり運ばれてきて、ぽんと乗せられた。母親のお腹にいた時と外界では、新生児には温度差が激しすぎて弱ってしまう。そういった理由から、新生児が室温に慣れるまで母親の体に密着させるのが良いのだそうだ。

乗せられた赤ちゃんを体で感じたが、このとき何を思ったのかあまり良く覚えていない。痛みからの解放感と疲れとがどっと押し寄せてきた。しかしながら、これでお産が完了したわけではなかった。後産(胎盤の排出)、敗れてしまった会陰の縫合等が残っていた。会陰の縫合はちくちくして痛かったが、それまでの陣痛のつらさを思うとかわいいものだった。この間に、生まれたばかりの赤ん坊はようやく産湯で清められているようだった。この頃になってやっと、弱々しい声で産声を上げているのが聞こえた。

再び私のところへ連れてこられたときにはもうお包みを着せられていた。おっぱいをあげるようにと看護婦に指示され、赤ん坊の顔を胸のところに近づけると、カプリと乳首に吸い付いた。きゅうきゅういいながら吸っているのがわかった。体中の血がざわざわと移動しているのを感じるような不思議な感覚だった。このときになって初めて、鳥肌が立つほど、この小さな生命を愛しいと感じた。

アメリカでは無痛分娩が一般的だが、私の通ったセントルークス病院は、自然分娩を推奨していて、助産婦によるお産が行われていた。通常の分娩ができない場合、患者のリクエストや病院側の判断により麻酔を使ったり帝王切開をすることになるが、このとき初めて医者が関与する。自然分娩は、北カリフォルニアに多い、自然志向のアメリカ人に再認識されつつあり、そのためにこのセントルークス病院を選ぶ妊婦も多いが、まだまだ一般に普及しているわけではない。

私も自然分娩の方が良いと信じてきたし、お産の際、つらさに負けて麻酔して欲しいとも願ったが、結果的には、痛みも恐怖も苦しさも、全て経験することができて良かったと思っている。そうすることで、私のお産の体験はより鮮明な記憶として私の中に永久に残っていくことと思う。この経験はいつか私の作品の中にも実を結ぶことができればと願っている。


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