サンフランシスコ便り 2005
第7章 命名の由来
子供の名前に関しては、最後の最後までもめた。私がいくつもの候補を挙げたが、夫が気に入らず没になったものが山ほどあった。しかし、最後には「まどか」と二人で決めた。
最初に円という字を書いて「まどか」と思いついたのは私だった。円には、全ての形の中で最も洗練されて完成された形、円熟、満ち足りること、円満、和の心など、平和に全てを包み込むような意味あいがある。心の大らかな、ゆったりとして気持ちの優しい人になって欲しいという願いを込めた。
「まどか」とひらがなにしようと言い出したのは夫だった。「まど」という響きにも、次の世界に繋がる窓のような響きも彷彿させつつ、まどかの意味を円に限定せずに更に広げるというのだった。
二人でこうして決めた名前だったが、夫が間際になって、また気を変え始めた。アメリカ人の友人に、聞いたことがない響きでピント来ないだとか、夫が考えた「みどり」の方が評判が良かったとかいうのである。確かに「みどり」というのは酒の名前になっていたり有名な音楽家がいたりと、アメリカ人にも良く知られた日本人の名前だ。それに対して「まどか」はそんなにポピュラーな名前でもないし、聞いたことがないアメリカ人は多いだろう。
だからといって、二人で決めた名前を、その友人の一言で変えるのかと腹が立った。口論となりそのまま保留の形になっていたが、生まれてきた子供の穏やかでやんわりした顔を見て、「まどか」にしようと二人で決めた。
私は、子供の頃、自分の「文代」という名前が嫌いで仕方なかった。当時の名前としては、なんとなく古風で、同世代の女の子たちの名前の方がかわいらしく聞こえた。それもそのはず、この「文代」という名前は、母の考えを無視して、父方の祖母が命名したのだった。
今なら、祖母がいきなりこの子の名前は「文代」にしなさいと命令したとしても、母がそれに従う必要もなかった話だろうが、昔のこと、目上を敬う日本の慣習が根強く残っていた時代、嫁が姑に逆らうことはなかなかできることではなかった。母は、結局自分の考えを諦め、祖母の考えた「文代」という名が、私の名となった。
子供の頃、両親に連れられ、父方の祖父母を幾度となく訪れたものだが、祖母は、父が来ることには大いに喜んだが、いつでも母に冷たかった。そして祖母は、兄はかわいがったが、私には、母同様冷たかった。ある日のこと、食事の支度や後片付けなど母を手伝っていた私を見て、祖母は「猿よりはましやわなぁ。」と言ったことがある。子供のすることなので、本人からすれば、一所懸命手伝ったつもりでも、大人の目から見れば、大して役にも立っていなかったのかもしれないが、そんな掃き捨てたような言い方を、自分の孫に向かって言うものだろうか?当時、小学生だった私には、なぜそんなことを言われるのか全く解らず、ただとても悲しくなったのを今でも覚えている。
晩年、祖母が能腫瘍で亡くなる少し前には、もともと信心深かったのだが度を越して、近所の人を集めて巫女のようなことするようになっていた。一人で仏壇の前でぶつぶつ何か言っていることが多くなった。母が聞いたというのだが、祖母が仏壇に向かって「文代を呪え」と何度も唱えているというのである。父はその話を聞いて、昔祖母が若い頃に文代という知り合いがいて、自分の孫の名前にもしたいと思うほどに、その人のことを憧れていたのではないか。しかし、晩年になり、憧れが昂じて、手の届かない相手に対する憎しみに変わり、呪うようになったのではないかという仮設を立てた。私は、それを聞いても何とも納得できないまま、長い間、のどに刺さった魚の骨のように、ずっと私の心の奥底に、癒えない傷とわだかまりを残した。
祖母は若い頃、商才があり、小さな煙草屋一軒から事業を大きくして何件も店を持ち一財産を築いたという。これに対して祖父は、日記など欠かさず毎日書くといった、繊細で几帳面な部分を持つ人であったらしいが、商才については祖母には及ばなかったのだろう。商売を祖母に任せて、髪結いの亭主よろしく、大した仕事もせずに日々暮らしていた。
私の父は、外観は祖父によく似ているのだが、性格は勝気で傲慢、一本やりで融通の利かないところがある。それを考えると、祖父も実は人一倍負けん気が強かったのかもしれない。しかし、商売上手の祖母に、仕事の上で頭が上がらなかったとしたら、何所へ彼の情熱は向けられたか。
他に、女がいたとは考えられないか。そして、その女の名前が、あるいは、その女と祖父との間に娘がいたとしたら、その娘の名前が「文代」であったとは考えられないだろうか。そして、祖母はそのことを知っていて、祖父への面当てに、わざわざ初の女孫である私にその名前を与えたのではないだろうか。そうすることで、祖母は祖父の情事を知っていたこと、そのことを恨みに思っていること、そしてその恨みはずっと消えはしないことを祖父に思い知らせるつもりだったのでは。
祖母は、父を溺愛した。それは、失った祖父への愛に対する代償ではなかったか。そして祖母は、その最愛の父を奪った母に、祖父を奪ったその女を映し出したのではないだろうか。そして、その娘である私には、祖父とその女との娘を見たのでは…
これは、全くの私の想像に過ぎない。父や父の姉や妹である伯母たちに、この話をしてみたこともなければ、そういった事実がなかったか確かめてみたことはない。たとえ事実であったとしても、彼らがそのことを知っていたとは思えないし、彼らの気を悪くするだけだと考えたからだ。ただ確かなことは、祖母が文代という女を通して何か深い傷を心に抱いていたということだ。
こんないきさつもあり、私は自分の名前を長い間拒み続けた。できることなら変えたいと思ったこともあったが、生まれたときから自分とともにあるこの名前に、いつしか愛着が湧くようになった。そんな祖母の呪縛よりも、自分が文代として生きてきた歴史の方が確かなのだから。
それでも、こんないきさつがあったからこそ、自分が女の子を産むことがあったら、その子が幸せになることを心から願いながら精一杯良い名前をつけようと心に決めていた。子供を持つどころか、結婚することがあるかどうかも定かでない昔から、女の子がいたらこんな名前をつけたいと、いくつもの名前を思いついたものだ。妊娠4ヶ月の検査で、お腹の中の子供が女の子であることがわかったとき、私の心は躍った。どんな名前にしようかと。そのとき以来、いつでも気がつくと、この子の名前を何にしようと考えていた。私の考えた名前を夫が気に入らず、そのたびにまた新しい名前を考えた。そして、最後に「まどか」にしようと二人で同意したとき、肩の荷が下りたような気分になった。
その後、ひと悶着もあったが、無事に良い名前を命名することができてほんとに良かったと思っている。この子には、皆に祝福されて伸びやかに育って欲しいと心から願う。