サンフランシスコ便り 2005
第8章 母になるということ
8ヶ月になっても、未だ、はいはいもしない娘だが、お座りだけは6ヶ月の頃からできるようになり、座らせておくといつまでも一人で周りにあるいろいろなものを玩具にして遊んでいる。時々私の存在を確認するようにこちらを振り返り、目と目が遭うと、にっこり笑って、また安心したように遊びに没頭する。こんなに平和な時間がいつまでも続けばよいのにと思う。
生まれたての乳児のときから4ヶ月までは、母乳だけで育てた。この子は私からの成分だけでここまで大きくなったのだと考えると、まだお腹の中にいた頃と同じくらい深く繋がっているのだと感じた。
ところが、まどかの体重が一ヶ月間、ほとんど増えなかったことがある。3ヶ月から4ヶ月にかけての体重が大きく伸びるはずの時期だった。もうすぐ始まる学校のことなど心配になり始め、母乳の出が悪くなったせいだった。インターナショナルとしての学生ビザだけが、私がここアメリカに滞在するためのステイタスだった。そのステイタスを保持するためにはフルタイムの学生であることが要求される。ハーフタイムだけの登録の許可を得るために、学校側と、通っている病院との間を何度も行き来して、許可はようやくおりたものの、非常に骨の折れる仕事だったため、時間も神経も使い果たし、その間、母乳の出は落ち込み、まどかが4ヶ月になったころから粉ミルクを使わざるを得なくなった。母乳だけで育ててきたことを考えると、粉ミルクを与えることは、初めて自分以外の成分をこの子に与えることになる。それまでのより密接な繋がりを無理やり断たれたような、切ない気持ちになった。
しかしながら、いずれは子供というものは大きくなって、徐々に一つの人格を持った人間に成長していく。いずれは大人になって独立し、親のもとから離れていくもの。そのことを常に頭に置きながら、それぞれの段階において、親も子供の成長とともに子供から離れて行くことを学ばなくてはならない。粉ミルクの導入は、私にとって、本当につらいことだったが、これもまた第一の試練なのかもしれないと思うようなった。
私が、10歳の頃、妹が生まれた。それ以来私たちの生活は一変した。母は寝不足で家の中を片付ける気力もなく、家中が散らかり放題だった。家の中のかたづけは、私の学校から帰ってからの日課となった。赤ちゃんは、夜となく昼となくしょっちゅう泣いていて、家の中には落着ける場所がなかった。そんな子供時代の経験から、長い間私は、子供などいらないと思い続けていた。子供は自分の静かな生活を破壊し、自分から時間を奪うものと感じていた。
いつからだろう、自分にも子供が欲しいと感じ始めたのは。30台を半ば過ぎた頃からか、自分が徐々に朽ちていく運命にあることをそこはかとなく感じるようになった。そんなとき、自分の分身である子供が先の世代に続いてくれたらと思うようになった。しかしながら、昔からのトラウマで子供嫌いだった私が、しっかりと子供を受けとめることができるだろうか?自分の子供を愛することができるだろうか?という不安と疑念はついて回った。
まどかを腹に宿す1年前、ひとつの生命を身ごもった。生まれて初めての妊娠だった。愛していると思った相手と作った子供であったが、それが過ちであったことに気づいた。旅で知り合った相手だった。旅で知り合った相手だったから、お互いの本来の生活に戻ったときの姿は、彼の国で一緒に住んでみるまで解らなかった。お互いの文化に対する知識の浅さが理解不足と行き違いを生み、決裂が訪れた。お腹の子供を中絶して、その男と別れた。中絶の手術のとき、私と繋がっている小さな生命体の間の管をはさみで断ち切られた感覚が伝わってきた。私は、自分の選択で小さな生命を絶ってしまった。あのときのことは、いつまでも忘れることはできない。あのはさみの感覚は今でもときどき夢に見る。今後二度と、同じ過ちを繰り返さないないと心に誓った。もし今度、妊娠することがあれば、必ず生もうと心に決めた。それまで常飲していた煙草も、このときを限りに止めた。
2004年、翌年の夏、お腹に再び新しい生命を宿したことに気づいた。今の夫との子供である。そのときまだ結婚していなかったが、どうしてもこの子だけは産むのだと決意した。子供に対して、ある恐怖感を抱き続けてきた私だったが、自分の体が目に見えて変化していくさまを驚きと畏敬の念さえ感じつつ見守るうちに、眠っていた母性本能が少しずつ芽生えてくるのを感じた。妊娠中から、体が母となる準備をするのに伴い、心も母となるべく準備されていくものらしかった。
それでも、子供を産んでみるまでは、まだ不安ばかりが大きかった。生まれてくる子供を愛しいと心から思えるだろうか。育児に疲れて、子供なんかやはり産むんじゃなかったなどと思ったりしないだろうかと。
産んでみて初めて親になることとはどんなことを理解するものだ。いろいろ悩み、取り越し苦労したが、子供の笑顔は、どんな障害も吹き消すほどの威力があることを知った。自分では何もできない、懸命に泣いて自分の存在を訴えるしかできないこの小さな生命体を見たとき、この子をどんなことがあっても守ってやらなくてはと心の底から思う。この子の命を救うためなら、自分の命を引き換えにしても惜しくはないと心の底から感じることができる。エゴイストでナルシストな自分が、ここまで思えるとは自分でも想像できなかったけれど、無垢な子供を目の前にした親とは、そんなものなのかもしれない。
親業は難しい。あまり過保護になってもいけないし、かといって突き放しすぎてもいけない。あるときは優しく、あるときは厳しく、いつも側で、あるいは少しはなれて見守りつつ、かまいすぎずに、子供がほんとに必要としているときには、手助けをしてやったり、抱きしめたやったりしなくてはいけない。考えすぎると混乱するが、頭でなく、心で感じることを信じて、大きな愛情ではぐくんでやりたいと思う。