サンフランシスコ便り 2005

第9章 ハンターズポイントシップヤード オープンスタジオ

2005年5月、まどかを生んで4週間目の週末、そして、10月、第4週目の週末、私にって初めてのオープンスタジオを行った。オープンスタジオとは、自分のスタジオ(画室)を一般公開して、スタジオの中で個展のようなことをすることだ。ある時期に限定して、同じ地域に住むアーティストが一斉にスタジオを公開することでイベント的要素を含め、より多くの人出を得ようとするもので、この辺りではよく行われる一種のアートフェスティバルのようなものだ。

こうしたオープンスタジオでは、アーティスト自身が企画から販売まで自己責任で行うので、作品の値段も低く抑えることができ、一般の人々も気楽にアート作品を買うことができる。アーティストが直接訪問者と接するので、人々はより親しみを感じ、理解を深めることができる。ここサンフランシスコでは、こうした活動が盛んなので、より一般にアートが浸透しているように思う。

ところで、私のスタジオはハンターズポイントシップヤードというところにある。もと海軍基地だったところだが、民間が仲介に入り、そこに昔からあった海軍の建物を手直しして安くアーティストたちに貸し出した。現在250人以上のアーティストがそこにスタジオを持ち活動しており、アメリカのアーティストコロニーとしても最大級といえる。昨今、地価がアメリカ一高いと言われるサンフランシスコでは、収入の安定しないアーティストが生き抜いていくのはかなり難しい。そういった意味でも、多くのアーティストにスタジオを提供するハンターズポイントは意義のある場所といえる。

しかしながら、このシップヤード、第二次世界大戦中、核を積んだ船が停泊していたといわれる。また、核の実験室があり、核実験にさらされた船の洗浄なども、そこで行われており、今でも地下深いところには放射能で汚染された船体の削りかすなどが埋まっていると言われている。この汚染の度合いが強いとされるところは、鉄条網により仕切られて民間人は立ち入りできないようになっているが、そういった地域に隣接しているアーティストコロニーそのものも、核による汚染を免れていない可能性がある。このシップヤードにはいくつのもビルディングがあるが、そのうち特に汚染の危険度が高いと指定されている区画に建つビルディングに住んでいたアーティストが、何人か癌で亡くなったという噂も聞く。この死亡者たちと汚染との因果関係は今のところ証明されてはおらず、確かなことは誰にも解らない。

最近、このシップヤードは、海軍からサンフランシスコ市に譲渡され、長らく放置されていたこの汚染問題を解決すべく、一帯を地下まで洗浄することになった。工事が順次なさているが、それに伴い、私のスタジオのあるビルティングも、近いうちに水道、電気などが使えなくなる予定だ。2004年の暮れに入室したばかりだが、立ち退きを勧告されるのも時間の問題のようだ。

そういう経緯もあり、今年2005年、春と秋に開催されたオープンスタジオは、どうしても参加しておきたかった。まどかが生まれたばかりで大変ではあったが、描きかけになっていた作品もなんとか完成までこぎつけ、どうにかスタジオを開けることができた。日本にいたときには経験のなかったオープンスタジオ、全て自分でアレンジして、直接、お客を相手にしてのやりとり、厳しい面もあるが、直に人々と話をし、その反応をうかがうことができたことは非常によい経験となった。人々と語り、人々を理解することは、自分の属するこの社会を理解することに繋がる。そうした経験を積むことなしに、人々の共感を得る作品は作れ得ないと思う。人々に感動を与える作品を作るということは、人々と同じ空気を吸い、人々が感じる喜びや悲しみ、怒りや苦しみを知ることから始まるのだと思うから。


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